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決めた・・・?

あれから約3年かぁ…。

生半可に付き合って3年。そう、都度一生懸命やってたつもりだったが、振り返ってみれば「生半可」という表現がしっくりくる。結局自分は「何にもわかってない」。

なりに一生懸命やってるのが車体に伝わるのか、たまにまともに走ってくれた。が、その時の感じは正直自分の好みとは程遠い乗り味。別にこの車体でなくっても…ねぇ、と。走りそのものがもっと面白いと感じるのは他にいっぱいある。

逆に感じることといえば、この車体が発売されていた当時、日本車にケツをかかれてあげくぶっちぎられ、慌てて追いつこうとしている全体的なばたばた感…気のせいか?

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ネットで見かける様々な事例。

ありえん所のクラック補修に電装類の総とっかえ…もともとがそもそも。。不良品?電気に関して言えばその時代のシステムそのものを楽しむことができないなら何故その時代の車両を?

簡単に入手できるとはいえ、部品買ったら精度の低い&当時モノではないリプロだったり、あげく肝心要のパーツを日本製に…って。日本車?英国車?

直すのが楽しいのか、直すとより楽しく走れるから楽しいのか。

だんだんわからんようになってきましたw

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しかしそんなバイクに触れて何が楽しいかといえば、

不調になる→のたうちまわっていろいろ考える、手を汚す→走らせる→たまにうまくいく→帰ってプラグを見るとカラッと焼けてる→うれしい→また乗る→何故かまた不調になる、ふりだしに戻る

これが何故か楽しい…どM?それとも悔しさがばねになっているだけ?

出来の悪い子ほどナントカカントカ、なのか。それとも身丈に合わないブランドバッグ的なモノを自己顕示の為に手放したくないだけなのか。それともこの「負のループ」こそが魅力(魔力?)なのか。

さらに進むのならゼロからの再スタート。さて、悔しさのバネはまだ反力が残っているのか?

もうちょっと考えてみます。

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そもそも勘違いしていたのかなぁ、と。その原因は英国車として最初に触った乗り物 'mini'

極端にプレミアムなVintageを除き、ある一定の時期までなら当時と同じパーツがフォローでき、それは現代でも十分に通用する道具であり趣味であり。miniに触れることで当時を体感することができた。腫れ物に触るがごとくの's'は無理だったけど、1000では本当に楽しむことができ、色んな意味で幅が広くなった。

そうか、英国の製品とは質実剛健。今でも十分に使えるんだ、と。そういう「思い込み」。だが僕が触れたTRIUMPHはそんなことではなかった。もちろん触れ方が悪いんだけども。

明らかにはなからおかしい時。500kmほど走っておかしくなる時。1000km走っておかしくなる時。壊れ方がばらばら。色々やっても結局、的を得ていなかった。

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ところで。もし「ちゃんと走るTRIUMPH」が出来上がったとしたら、それはそれでどうなんだろう、と。全く壊れない、欠点ゼロの。現行電気回り&何でもかんでもリプロ新品に換え倒す&ぴっかぴか再塗装&ちょっとでもオイルとか漏れたら狂ったようにアレwする。考えることを放棄できる(する)仕様。

…ん~。そっちはないよなぁ。今のところ。

そう考えると絶えず「考える」ことを与えてくれる、ということでもある。そんな道も選べる、と。